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大野城

はるか飛鳥時代に建造された国防のためのお城

大野城は、福岡県太宰府市に位置する城跡です。
現在は石垣の跡のみが残っていますが、大変歴史が古く、日本各地にある城のさきがけとも言えるものです。

その成り立ちは飛鳥時代にまでさかのぼります。
飛鳥時代、西暦600年頃、朝鮮の百済が国存亡の危機にあったため、それを救おうと日本から援軍を遣わしました。
しかし、663年白村江の戦いにおいて日本軍は大敗を喫してしまいました。
それによって、日本は朝鮮から手を引くことになります。

しかし、この敗戦は日本に大きな影響をもたらし、朝鮮や中国からの軍の侵入に対応することを余儀なくされます。
そのために、各地の湾岸部に海からの侵入を防ぐ土塁や城を建造することになったのです。

そのうち、九州の北部は一番朝鮮から近い位置にありますので、国防の最重要地点として防備が強化されました。
その1つが、この大野城なのです。

海岸沿いの水城とセットで国防を担う

朝鮮や中国から攻撃があるとすれば、船によって襲撃するしかありません。
そのため、九州北部の海沿いは土塁などによって防御が固められることになりました。
現在の福岡県には、当時大陸との交流の要となっていた太宰府がありました。
そのため、この重要拠点を守るために、しっかりとしたディフェンスラインが引かれました。

海沿いには船の侵入を水際で防ぐ土塁や堀を備えました。
それが水城と呼ばれるものです。
1.2キロにも及ぶ土塁がしかれ、敵の上陸を防ぎます。
しかし、この水城での防御が至らなかった場合に備え、また防御の基地とするために、この大野城が築かれたのです。

その構造は、石垣と土塁がメインとなっていました。
その中でも、現在でも保存されていて、大野城の特徴とも言えるのが百間石垣でしょう。
全体の長さは200メートルにも及び、高さは高いところで60メートルにもなります。
この石垣で敵の前進を阻み、上から攻撃を仕掛けることを想定していたと考えられます。

建物は、礎石に木造の家状のものを建てていたようで、要塞というよりは兵の宿舎や武器や兵糧の備蓄所として利用していたようです。

現在でも昔の名残を見ることができる

このように大野城は大変歴史のある史跡ですが、比較的保存状態が良く現在でもある程度名残を見ることができます。
現在当地には県民の森があり、当時の建物に使われていた礎石などが残っています。

また、この城跡を歩いて見学すると、当時の土木建築技術がとても高かったことを知ることができます。
雨水を排水する構造を持っていたり、籠城しても大丈夫なように井戸や水溜を持っていた様子を見られます。
このように、大野城は古代の知恵が集結された城であり、その後の日本各地における築城の礎となったのです。

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