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安楽平城

安楽平城、戦国時代攻防があった城

福岡市早良区の安楽平城、市民憩いの森、油山から西、荒平山に広がる場所にあった城です。
今から550年前に築かれた山城跡、そこが安楽平城です。
室町時代からずっと戦国時代までの長い間、大内氏、大友氏が早良郡を収めるため、一時的な軍事拠点として利用したのが安楽平城です。
戦いのポイントとなった場所、という事です。

安楽平城は、荒平山の頂上、その一帯に広く築かれた山城で、この荒平山から遠く眺めると、山であっても山頂が平たくなっていることがわかります。
これは、この山頂をその昔人工的に切り崩したからで、山いったいを戦いの拠点とするかのような作りです。

城というと、江戸時代に築城された福岡城のように石積みを高く積み上げた石垣が特徴的なのですが、この安楽平城は、巨大な石を高く積み上げる石などは存在せず、土塁と堀切を切断する空堀を使っている城です。
山頂からは四方に尾根が伸び、敵の侵入を十分に防げたといいます。

安楽平城の築城

安楽平城は、いつ築城されたのかわかっていません。
最古の記録としては寛正6年、古文書に書かれています。
古文書によると、寛正6年大内氏奉行人連署奉書写に安楽平城の名が登場しています。

大内氏は家臣の飯田幸松丸に対して、山門庄、拾六町のうちの10町を城料所として与え、安楽平城としてその城にとどまるように命じたのです。
城に住む人たちは城を預かる城督の指導を聞き、城守りをしていました。
大内氏が筑前主語の活動をしたというのは、文安5年から確認できます。

つまり、安楽平城は、寛正6年までに築城されたという事です。
ただ確実にいつ、創建されたのかという事はわかっていません。

大内氏が滅んだあと

大内氏の滅亡後、1550年代半ばごろには大友氏の城となり、家臣小田部氏が安楽平城督に任命されていました。
その後、大友氏は日向にいて島津氏に大敗します。
その後各地で戦乱が起きて大友氏の両国は崩壊の危機となりました。

天正7年になって、安楽平城は、肥前前国の軍勢に攻め入られ、城督小田部、嫡子とともに戦死したのです。
後、後を継いだ二男が防戦を継続しましたが結局、安楽平城は落城しました。

このように、この城は常に攻防の中にあったという事です。
何より、戦国時代においてこの安楽平城を得るという事は、とても有利な戦いのポイントを得るという事になります。
この城を巡り、多くの人たちがかかわり、そしていなくなってきました。

大内氏、大友氏が軍事的な拠点としてこの城を選んだのも、この安楽平城が、戦いの主軸となるところだったからです。
山頂の上に作られた城、こういう場所に作られた城だからこそ、この城は誰もがほしい城となったのです。

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