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秋月城

筑前の小京都と呼ばれる秋月城の城下町

福岡県の秋月は、鎌倉時代から江戸時代にかけて城下町として栄え、その景観が守られてきた場所です。
ここは筑前の小京都と呼ばれる美しく端正な街並みがあります。
日ごろ、あわただしい毎日を過ごしている現代人ですが、たまに、こうした秋月などにいってただゆっくり歩いていると、日常の忙しさを忘れ、のんびり過ごすことができます。

福岡県朝倉市、この中心部から北に7キロほど向かうと、のんびりした山間の盆地があり、そこにかつて栄えた秋月城の城下町がありました。
この秋月城のある秋月を領地としていたのが、秋月氏16代、江戸時代から藩主と勤めて黒田氏12代です。
その時代、ここは栄華にみちた生活があったのだろうと想像させる場所です。
春には桜の名所、秋には紅葉が美しい場所として知られていますが、この町はこうした四季の魅力だけではなく、日本お原風景をみるような美しさがあります。

秋月の歴史的スポット

秋月の街は1時間程度でのんびり回ることのできる街です。
その中でも代表的といわれるのが、黒門です。
黒門は13世紀初頭、秋月氏が建てた古処山城裏門であったもので、17世紀に黒田氏が秋月城に再建した際に、表門として利用されたものです。
黒田氏12代のその歴史を知るうえで、貴重な史跡となっているのです。

秋月城は歴代いろいろな人が城主となってきていますが、中でも誰もが注目するのが秋月種実です。
秋月城の時代の中で最も領地を広げたという16代目の領主です。
彼は九州でも有数の戦国大名でした。

キリシタンを保護していたという事もありますが、秋月氏のイメージはどうしても信長につながるという人が多いのです。
種実はあまり史実として残っている方ではないのですが、断片をみるだけでも信長的なイメージが見えるという意見が多いです。

結局この秋月氏の栄華は豊臣秀吉の九州討伐によって幕を下ろします。
秋月氏の重臣である、恵利内蔵助暢尭は秀吉と戦うことが無謀と和議を進展します。
しかし聞き入れませんでした。
自ら命をとして種実をいさめようとしたのですが、とうとういさめる事が出来ず、彼はその悲劇の人生を鳴渡観音堂にお祀りされています。

秋月の街の田んぼに見る石垣

秋月の街を散策すると、川、田んぼなど常に石垣が使われている事がわかります。
この秋月の街で生活している方にとってはごく当たり前の風景ですが、そのほかの地域の人からすれば、非常に珍しい風景です。

例えば、目鏡橋のあたりは護岸にも石垣があり、橋脚を護りかあの水を流すよう、角度を少し変えて石が積まれています。
その手法は武田信玄が信玄堤という堤防に通じるように感じます。
こうした石垣が残っているところも、秋月城の城下町の魅力なのです。

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